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藤田商店の歴史

和傘の行商として出発し、洋傘へ着目

 昭和21年、初代社長藤田元市と長男薫が、美濃和紙で作った和傘を背負い、広島や東北で商売したのが始まりです。その頃は終戦直後であり、傘を米と交換するようなこともあった時代でした。
藤田商店の第一の転機はそれから7年余り経った昭和28年頃の洋傘の登場です。当時は「こうもり傘」とも言われ、ナイロン素材で作られた傘は画期的でした。和傘から洋傘への早期の転換とが、藤田商店を伸ばす1つのステップになりました。

藤田商店の歴史
「傘はギフトになる」という発想の転換

 昭和50年頃、は傘がギフトカタログに掲載されてはおらず、人への贈りものとしては一般的ではありませんでした。しかし化粧箱に入れた高級洋傘を業界で発行するギフトカタログに掲載したところ、爆発的に人気が出ました。これが第2の大きな転機となり、ギフトカタログ販売業として成長していくことになります。その当時のギフト事業部は、藤田商店が「傘」を中心に販売しており、また傘がよく売れた時代背景も手伝い、最初は赤字事業部でしたが、当時のギフト事業部長の井上氏(現在は定年で退職)の貢献もあり、現在では藤田商店の中心事業へと成長することになりました。
傘という強い商品があったこと当時主流であった冠婚葬祭ギフトでの競合を避け、プレミアム中心のカタログとし(差別化)たこと営業による得意先訪問と女性の受注者にある程度の仕入及び価格決定権をもたせたこと女性でしかできないソフトで決めこまやかな応対ができたことなどが、現在の藤田商店を作り上げてきました。